エーコ選手名鑑⑦「三宅愛子」その1

幼児
エーコのコーチ人生の中で最も「印象に強かった(キョーレツ❢)指導」で「オリンピック選手」になった愛子。
愛子の指導については、若かりし頃のエーコ自身の「葛藤と成長」がたくさんあった。
なので、これだけは「今の若いコーチ」達にも是非とも、自分の夢や希望の実現に役立てて欲しい!と思う。
その1から始めて、その「幾つまで」になるか解らんけど・・・ネ😊

愛子は3人兄弟の末娘で、お兄ちゃんが2人。その兄たちが近所に出来た「ピープル加古川」で水泳を習い始め
それにつられる様に、3歳か4歳?で愛子は水泳を始めた。
その当時のことはもちろん全く記憶にない。ただ、愛子の母曰く・・「愛子はずっと泣いてたんやけど田村コーチの
プールの時だけは泣かなかった・・」と言っていた。

この写真は、愛子が幼稚園の時のもので。「キンダー大会」の為に集めた選手クラスの下の下で
幼児を集めた「チビッ子クラスの寄せ集め」のようなもの。泳力は25mの板キックと背泳ぎのキック
が出来るだけのクロールもまだ25mは泳げない様なクラス。その中でも、愛子はおとなしいし目立たない。
ピースの手が✌何とも・・・愛子らしいでしょ。
ただ・・キックはほかの子供よりは速かった。(と・・・それぐらいの記憶しかない!!)

なので、もちろん、将来は「オリンピック選手へ」など・・考えてる訳はない。
そんな中からでも「オリンピック選手2名」が出たことになる。
小学生になり、選手コースとして指導を始めて行くうちに・・この人数から一人辞め、二人辞め・・・
と何らかの事情で水泳を辞めていく子供も多かった。どこのクラブでも同様なケース。
その中でも、美佳は「幼稚園」の頃から「スーパースター」で小3の9歳から全国ジュニアにも出場していた。
愛子はどちらか言うとホントに目立たない。自分から話をすることもない。
愛子の兄二人には親も厳しかった?かもしれないが、末っ子の一人娘。小学高学年まで父親が愛子の髪を切っていたとか?
いつも、父親の膝に座ってテレビを見るとか?「なんじゃそれ??」なんてよく思ったものだった。

小学6年の最後の春に「初めての全国ジュニアオリンピック」に個人200m自由形とリレーで出場した。
そこまでは「練習は強いけど本番(試合)ではイマイチ・・」の状態で試合の度によく𠮟られていた。
そんな愛子が初の全国ジュニアで「ベスト」を出したので、そのご褒美に・・この人と写真を撮ってやった。
すずと
その当時のスーパースターのすず。愛子の「雰囲気❤」が何となくすずに似てた?様な(勝手な)気がしてた。
なので「千葉さん、うちの選手がベストを出したので一緒に写真を撮ってやってもらえませんか?」とお願いした。
この数年後・・・オリンピックで一緒にリレーを組むなど誰が考えたか?????

小学低学年から強かった「美佳」とは幼稚園も小学校も同じと。(最終的には中学~大学まで・・・・)
「美佳ちゃんは凄いね・・」と何時も愛子の両親も言っていたし、「愛子はあかんわ~」ともよく聞いた。
なかなか「爆発」するようなレースが出来なくて、ベストが出ても「カメさんのようなベスト」だ・・と
よく言っていた。
ただ、エーコは「中学~高校になったら強くなる」ような気がする❢❢というのはあった。
何故なら、愛子はレースだけは「メチャクチャ思い切っていくことが出来る選手」やった。
積極的に!!まぁ、悪く言うと「後のことは一切考えず、ぶっ飛ばして、思い切って泳ぐ」
それは考えてなのか?全く何も考えずに・・なのか?微妙な感じだが、ただそれが「印象」に残っていた。
小学生のトライアルマラソン大会でも走らせると結構速い。ひょうひょうと走るねん。
だ・か・ら・・・・中学になったら絶対に長距離選手にしようと思ってた。

愛子は誕生日も早く、中学1年生の「夏」にはもうDグループに上がってしまう。
なので、小学6年生の終わり、中学に入るその春からバシバシに泳がせるようになった。
そんな練習中も黙々と泳ぎ、なに一つ嫌な顔もせず、ホンマにコツコツと頑張るタイプの子供やった。
その夏には 200m・400m・800mと3種目で全国大会の制限を切れるようになっていた。
けど・・そのシーズンの愛子の「目標」は「美佳と一緒に来年の日本選手権(バルセロナの選考会)に出ること」
に決めていた。そう・・・・憧れの千葉さんと一緒の試合に出ること・・・や。

目先の大会に向けて「目標」を持たせる。➡これはもちろん当たり前で大切なこと。
けど、その子供の「年回り」を頭に置いて「どこで日本選手権、どこで最高のパフォーマンスを・・」
なんてことは、漠然と「コーチの夢と希望、挑戦」からスタートをさせなあかんと思うねん。
その当時の800m自由形の日本記録は同じピープルの「細田朋美選手」がソウルオリンピックで樹立したもの。
その朋美は中学1年で初めて「100mx100本(1分30秒)」の練習をした(と本人に聞いてた・・)
なので・・・・・
ならば❢と、小学6年生でその練習をやらせる❢やってみよう❢と、簡単に思ってやらせる田村コーチやった。