エーコ選手名鑑⑦「三宅愛子」その2

小学校6年生で初めて全国大会に出場して、憧れの「千葉選手」と一緒に写真を撮って中学へ進んだ。
誕生日が早いのはコーチの考え方次第だが・・エーコは「ええことや」と思っている。
中学になればそれなりの種目を泳ぐようになり、その選手の成長と年回り(4年に1回のオリンピック)
を考えた練習プランに変えていく必要がある。
なんて、偉そうなことを言うのは「結果、そうなってたから・・」がエーコのコーチとしての意見。
その当時小学6年生の愛子に考えた「夢プラン」は・・・
『憧れの千葉さんと一緒にレースで泳ぐこと=日本選手権の決勝に残ること』を大前提として・・
中学1年生目標➡200m・400m・800m自由形で全国ジュニアに出る
(と・・翌年の日本選手権=バルセロナの選考会には必ず1種目は出れるようにする)
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自由形3種目で夏の全国大会に出場。成績は記憶がないので、予選落ちか決勝残るかどうか?だろう。
けど、、この愛子の表情から余り良くなったのではないか??な。

中学2年生目標➡全国JOCで3種目優勝する。日本選手権は必ずベストで泳ぐ。
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この年に「日本選手権初デビュー」をした。800m自由形1本のみ。
けど・・この800mのレースで愛子は 1種目で3個のベストで泳いでん😊😊😊
200mのラップがベストタイム★
400mのラップがベストタイム★★
800mのゴールはもちろんベスト★★★
日本選手権の愛子の泳ぎは初出場の勢いと、頑張るぞ!という気持ちがすごく表に出た、今までの
愛子とは全く違ったようなレースをした。スタンドで応援をしてて、とても楽しかった記憶がある。
多分・・このレースが終わったあとでは、褒めたと思う(⋈◍>◡<◍)。✧♡
その勢いのまま、夏の全国ジュニアは200m・400m・800mの3冠を狙ったけど・・・
どれか1つは誰かに負けて優勝2種目、2位1種目だったような記憶。

が・・この年、エーコのコーチ人生を大きく変える出来事があった。
ド肝を抜く「美佳の200mバタフライの優勝」で考えもしないオリンピックがエーコの前にやって来た。
何も解らず、何も考えずの「とにかくぶっ飛ばせ」のレースで選手が「オリンピック選考会で勝ってしまう」
という、半信半疑な、夢のようなことが「現実」として起こった。
選考会では大ベストを出してた愛子だったけど、美佳はいつも、愛子の2歩も3歩も前を進んでるので
愛子の頑張りもぶっ飛んでしまったものだった。

1992年夏。エーコは初めてのバルセロナオリンピックの「応援観戦」に行って来た。
代表選手の美佳はナショナルチームで5月か6月ぐらいからずっ~~と海外遠征~合宿に行き
そのままオリンピック本番やったので、なかなか「ピン」と来ることもない初のオリンピックやった。
これが「オリンピックか」という気持ちより「凄いなぁ」「ごっついなぁ」なんて思うことの方が大きい。
けど・・やはり、いろんな「感情」やコーチとしての「気持ち」が生まれたものだった。
その中で・・この選手の印象がメチャクチャ強く、深く残ってん。

エバンス
オリンピック2連覇した「ジャネット・エバンス」表彰式で手を振ってる笑顔を見てると・・
なんか勝手に「愛子に似てるやん・・」なんて思えて、そのエバンスを見て『決心』してん。
次の「アトランタオリンピックにはエバンスと愛子を一緒に泳がそう❢❢❢」と。
タイムなんて考えてない。どれぐらいの「しんどい」ことか、どれぐらいの「大変なことか」も・・
何も考えてないねん。ただ「愛子をオリンピックに出す」・・それだけを決めた。
そう、今までは「テレビの中の世界」の「オリンピック」がエーコの目の前にあったから
何も迷わず、何も恐れず、『決心』が出来たのか?単に「単純」なだけか???
イヤイヤ❢❢ 良く言ってくれよ❢❢❢「純粋」な「ピュア」なコーチの気持ちだった kekeke

が、ここからが、今まで以上の「モーレツでキョーレツ」な田村コーチがスタートすることになる(´;ω;`)っ。