エーコ選手名鑑⑥「伊藤俊介」

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「男前ブラザーズ」の水泳選手って・・・そら「伊藤兄弟でしょ❢❢❢❢❢」

「伊藤俊介」➡お兄ちゃん
1996年、アトランタオリンピック選考会で、男子100m・200m自由形を優勝して日本代表に。
この選考会では、バタフライの鹿島選手、青山綾里選手など高レベルの記録が叩き出されて、、、
代表チームでも「マンツーマン」のチームもあったりした。その中で・・・・
エーコのチームは『200m種目』の選手が5名集まって来た。伊藤俊介の1分50秒から美佳の2分10秒まで。
その20秒のタイム差の5人が・・練習の時間は、ほぼ1コースで泳ぐのだった。
そんなん・・・練習出来るんかぁ???と思いきや、、美佳はもちろんしっかりと練習してきてるし・・
井本もイトマンの叩き上げ。糸井、吉見はメチャクチャ「タフ」な選手だった。
そんな中で、1番速いスピードを持つ「俊介」の練習は・・・
目を見張るぐらい(@_@;)のものだった。
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確か・・・1分持ちのキックがギリギリ・・・、プルでも余りパドルは使えず、、
特に長い距離や、泳ぎ込みの時期などは「こいつ、ホンマにこのタイムで泳いだん?」と、思うばかりだった。
背泳ぎよりも、個人メドレーよりも遅いタイムで帰ってくるしさ・・・・(´;ω;`)っ

担当選手が決まって、これから本番まで数か月で、エーコが一番先にするのは「個人ミーティング」
そら・・・各人、日本代表のスーパースターの集団ですから、個々の特性や、個々の性格やマチマチで・・
年齢、学年、体力、練習状況など・・全く違うわけで・・それを数か月率いてやっていくのですからね。
そんな、個人ミーテングで・・そう、習志野のホテルの部屋に俊が来て、メチャクチャ不安そうに言った。
「僕、やって行けますかね??」と。どんな返答したかは・・・・あまり覚えていない。
けど・・・そんなミーテングと言うか・・・話は数回はしたような気がする。

高校時代から、兵庫県の市川高校水泳部(今春廃部になった😢)。なら・・・知ってるはず・・なんやけど
全く知らないというか・・話したことはないな。顔は・・双子で珍しいし・・見たことはあったよナ~ぐらい。
そんなひょろひょろスイマーが中大へ進学して・・「一気に爆発」した。
その当時、中大は高橋監督が率いてメッチャクチャ強いチーム。そこの「エース」の選手なんだから・・・
そら、意識も高く、プライドもあったと思う。
ところが・・・
練習が始まるとベテラン2人、糸井、吉見は強いしタフ。。井本や美佳も練習は出来る方だったので
ス――――ッと速くなって代表になって来た俊とは、体力も泳力も全く違う感じだった。😢😢
俊は、ほんとに真面目で、一生懸命に練習をする。。。。物静かに‥「田村コーチ・・・あのね・・」と話す。
俊なりに、最初の方は「不安」との戦いと・・「訳の解らん?田村コーチ」にメチャクチャ戸惑ってたと思う。
けど、合宿を重ねていくうちにさ・・解りあえるというか・・・
まぁ・・エーコから言わすと「選手がエーコに慣れてくるのと、言うことは、利いとくか?」位になって
来たのではないかな?? もちろん・・・練習でも、レース前でも何度も何度も話をしたような記憶がある。
何時もさ・・・エーコがコース台の上か、プールの端に立って、目線の高さを合わしていたっけ??kekeke

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アトランタオリンピックではラストのメドレーリレーを泳ぎ・・確か50秒を切ってたのではないかな?
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今では・・珍しい水着姿・・となったなぁ~~😊 レース直後やったと思う。

と・・・伊藤兄弟と言えば・・なんたって「アジア大会」だったか??タイのバンコクでの大会では
スター並みにもててたよなぁ❤❤ バスに乗るときや、空港にまで「ファン」が付いてきてたし。
日本まで追っかけて来てた・・と言う噂もあったぐらいや。
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そら・・・カッコええでしょ。(昔の・・ジュリーなみやでぇ~~~~❣❣❣❣)

何かわからないままに「オリンピック代表」になってからは、「勝って当たり前」にもなる。
俊の現役最後が・・どこのレースだったのかは??定かには覚えていないナ。
今の様子を見ても、今でも頑張って水泳に関わって、指導者にもなっている様子。
何時までもカッコええ「俊介」でいて欲しいな~と思ってる。また・・・近いうちに「飯でも行きたいね😊」