EIKO ROUNGE
エイコラウンジ
エーコ選手名鑑⑤「伏見ピープル」
1979年10月「伏見ピープル」のオープンに伴い、4月に入社した西宮ピープルから「転勤」となった。
その伏見時代の「E1クラス」の選手コースの子供達。こんな笑顔なんて、練習中にはない。全く❢❢❢❢❢❢❢
この時代の田村コーチはただただ厳しい、うるさい、怖いコーチでしかない。
練習でも「妥協はない」例え、小学生でも、泣こうと一切お構いなしの練習の日々。(って・・今もか?)
そんな「選手コース」の田村コーチが・・・ある日、突然・・居なくなった。
そう、、、その時代の上司ともめて「選手を取るか、休みを取るか?」の選択で『コーチを辞めた』
若かったエーコには、いきなりコーチがいなくなった「選手の気持ち」を思うことも、考えることも出来ない。
そう・・・メチャクチャ自分勝手❢❢❢やった(´;ω;`)。>>>>と少しは思うkekeke
けど、今から考えても、同じ行動をとったと思うので、エーコとしては何の後悔もない(はずだった・・・・)
ただ、それから先は「もう選手のコーチはやらんとこ・・」とは・・・思ってた。
数年たって、加古川ピープルにオープンスタッフとしてコーチを再開した。
ら・・・いきなりいなくなったコーチやったのに・・・子供たちは、はるばる京都から電車に乗って遊びに来た。
ただ、残念なことに・・・その当時の記憶は・・・・ほぼないねん(だって・・40年弱ぐらい前?かな??)
けど、その時の選手たちはいろんなことをよく覚えてる・・・山中も犬も・・。
特に犬は(これは右側の子供のニックネームやけど・・)小6の全国ジュニアオリンピックでも会うことが出来た。
東京ディズニーランドのオープンした年に、エーコはピープル加古川から、犬はピープル伏見から参加してた。
この写真は、当時はとても嬉しかった。 のは・・今でも覚えてる。
伏見ピープルでは、エーコが居なくなって水泳を辞めてしまった選手もいた。
そんな美々子も大きくなって、加古川まで遊びに来ることもあった。神戸の街を遊びに行ったよナぁ。
そんな・・・奴らが「コロナもマシになったし来るか??」いうエーコの言葉で・・・集まって来た。
翌朝には・・うちの選手と一緒に泳いでた。(いや・・水に浸かってた(#^^#))
今ではもう50歳にもなるような立派な親父が泳ぐことが好きで「マスターズ水泳」を頑張ってるようだ。
水泳の話をしたら「必死になって聞いていた」
選手の話をしたら「楽しそうに聞いていた」
コーチとして一番大切なものがまだ此処にあるような気がする。
そう・・・「選手にとって、一生の記憶に残るコーチでいること」
これからも・・『気力』(は、あまり心配はない?)と『体力』が続く限り・・・・・・
お前たちの前を走っていたいな~~~~と改めて思わせてくれた。
また・・・おいで❢❢❢