エーコ選手名鑑④「安井久登」

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1994年「サンタクララ遠征」での400m自由形日本高校新記録での表彰式で・・・

90年代はジュニア遠征であっても約1か月位の長期に渡り、合宿➡レース(移動)合宿➡レースに出るような遠征。
この遠征はエーコにとっては初めての「長期遠征」で、しかも「長距離担当」となった。
担当選手の名前を見ても??愛子と東島奈耶しか知らない。
そら・・男子のレースなんて見ないもん。男子選手はISSの安井と東SCの須藤だった。
当時、ISSの奥田会長と親しくしてたこともあり会長から「遠征に行く前にいっぺん安井の練習見に行くか?」と。
そら・・その方がええやろと思いイトマンへ見学に行った。
前年にパンパシ代表やった安井は本来なら・・アジア大会か、世界選手権に・・のはずだった(そうだ・・・)
で・・一発目に「僕、やる気ないっす。高校新だけは出したいけど・・」と言う。
「お前何言うとんねん❢❢❢」
 エーコとの最初の会話で平気でこんなことを言って来た。
頭にくるよりも「あっそ・・」と思った。
奥田会長に「何ですか?あいつは・・」と話した内容を言うと「好きにしてええ」と言われた。

それが・・遠征の始まりやった。
最初の合宿から・・練習は、確かに「機械のように正確に泳ぐし速い」のにはビックリ(@_@;)した。
その合宿の記憶は・・余りないねんなぁ。
合宿地から最初の試合「サンタクララ国際」に出場して「高校新記録」で泳いだ。
まぁ・・自己ベストやし・・頑張っていた❢❢と、いうことやろう😊

次の合宿地、シアトルはとても綺麗で泳ぎやすいプールだった。サンタクララの大会を終えて、2週間後の
USCである「ジャネットエバンス大会」に向けて2度目の合宿で、休日には皆で(小)観光に行ったりしてた。
3人

この遠征は2班に分かれて、エーコはSdara先生と一緒だった。先生とはバルセロナ時代からの「縁」がある。
この遠征では、選手の生活指導、練習、大会等・・このSdara先生にだいぶ助けてもらった。
ああ見えても(失礼!)メチャクチャ選手思いで、スケジュール、食事等とても細やに気が付く。
選手には常にええ状態で、ええ環境で練習や生活をやらそうとする。
そんな・・(男性のコーチなのに?)細やかなところの心遣いがそれから先のエーコにはとても勉強になった。
また、水泳の練習、練習以外の ON OFF の切り替えも見事で、とにかく楽しいし、面白い日を過ごしていた。

シアトル

ロサンゼルスへの移動の数日前の練習で『事件』は起きた。ヤスが突然、練習中に思いきりダレてテレテレと泳ぎ出した。
他の3人は・・もちろんメイン練習なので必死で泳いでるところで・・・だ。一瞬❢❢「何これ??」状態。
多分、次の大会までのラストのハードな練習で、心身ともに踏ん張って欲しいところやった・・と思う。
それが・・いきなり「プッツン」と糸が切れたように・・・へらへら泳いでいるではないか❢❢❢

で・・・エーコ❓❓「爆発❢❢❢❢❢」上がって来い❢で、「もう泳がんでええ。」と。
はっきりと・・どんなことを言ったかは覚えていないけど・・・
まぁ、たかが高校新出したぐらいでうぬぼれるな?とか、
そんなんやから代表から落ちてジュニア遠征に回るんや❢❢とか、まぁ、怒りまくったような記憶はある。

それで・・帰らせたあと・・Sdara先生は、ロッカーできちんとヤスのフォローをしてくれていた。
エーコには何も言ってなかったので、その時の様子や、どう言ってくれたのかも聞いていないけど。
けど・・それで・・・その次の練習でヤスは 100mx10t(1-10) でAV 1-00で泳いできた。
練習終了
そのタイムがどれぐらいのレベルなのか❓余りエーコは解らないまま練習を終えた😊
ただ、サンタクララの時よりは、ずっとええ状態やな・・と思っていたぐらいだった。

ジャネットエバンス大会で1500m決勝1コースを泳ぐヤスはスタートからずっと1分1秒を刻んできた。
端のコースやったから選手皆で応援して・・その途中からSdara先生が「日本新出るぞ❢❢」と言う。
?????(@_@;) エッ~~~~???????
プールには西日が指してて・・・その時のヤスの泳ぎは今でもはっきりと覚えている。
「人間てこんなに力がある。泳ぎに限界なんかない。凄い❢凄い❢」と初めての「感動」やった。
  ➡これが・・その後の田村コーチの厳しさに繋がったんかなぁ( ´艸`)
泳ぎ終わったヤスが言った言葉もハッキリと覚えてる「僕、これ以上のレースは出来へん」と。
日本新

このレースの2年後、ヤスはアトランタオリンピック代表に入った。本当に嬉しかった❤❤
あの頑張りを見せてくれたから・・後のエーコには「妥協のない選手」が生まれてきたと思う。
(褒め過ぎやなぁ~~~~~)
コーチをして、遠征や合宿で他のスイミングの選手を預かるほど気を遣うことはない。
何か、自分がよそ行きのコーチになったり、ええかっこをしようとしたり・・するコーチもいる。
そら、他のチームの大切な選手を預かる訳で・・もちろん❢❢当たり前のこと。

なんやけど・・エーコは「いつも本気で、いつもエーコのままで」接していくことが、接することが出来るような
コーチでいたいな・・と思った遠征やった。

オリンピックを狙うのは4年に1回のことで・・4年に1回やからオリンピックやと思う(おかしいかな?)
コーチは何度でもやり直しが利く。コーチやから・・ね。
けど、選手は、その選手のパフォーマンスをここぞ❢❢の時にさせてやるのが・・コーチの役目。
小っちゃくても大きくても・・・「チャンスは活かさなあかんよナ❢❢❢」

ヤスは元気かな??もうええお父さん、おっさんには間違いないな・・・😊。