「卒業」

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確か、e-swimに初めて来たのは小学4年ぐらい?だったように思う。
同じスイミングに通う友達と一緒に尼森へやって来た。
まだ、速くもなく、そんなに「選手としての気持ちもモチベーション」もなく親に連れられて
やって来た。タイムもあまり記憶していないぐらいのものだった。

そんな中、保護者から「他のスイミングに変わりたい・・」と相談があった。家は伊丹。
もしトライアクシスに来るなら電車を乗り換えて、随分と時間のかかる状態だったのでそれはない✖
と思ってた。ら・・・『移籍して来たい』と言う。これにはとても(@_@;)ビックリした。
田村コーチのクラスでは全くもってついていけるレベルではなく、通うとしたら「甲南山手」
伊丹からすると、まだ向こう・・だったのだ。親と相談して本人が行くというので「通うことになった」
中学生になる時に「夙川へ変わるか?」の話をした。その時点では、まだ50m自由形も35秒前後。
100mでも1分10秒すら切れていない状態。
そんなに「必死で水泳を頑張れ!の、レベルでもないやん・・」正直、そう思ってた。
けど、中学になったら、水泳部はないけど学校から「中体連」には出してやると言われた。
それで、、夙川に残した。

中1の時、まだまだレベルが低く、どうしようもないので「1500m自由形」を中体連で泳がせた。
1500mが向いてるとか、泳げるとか一切ない。ただ、競争率が低い種目やったから・・・だ。
そしたら、20分かかってても、阪神大会から県大会まで進むことが出来た(中1なのに❢❢❢❢)
そこから・・・何となく本人は、甘いながらも「モチベーション」を持つことが出来て来たように思う。

が、そこから、本格的なトレーニング、田村コーチの「し・ご・き」がスタートした。
もちろん、周りの誰よりも遅いし、練習は弱い、試合でも『ドカ~~ン』とタイムを出すようなこともない。
まぁ・・(正直言うと)いつ辞めてもええやん、、どこかで見切ったらええか・・・なんて思ってた。
練習は真面目に泳ぐ(当たり前)けど・・・試合になると「ビビり」も出てきたり、、
その反面、自分に期待が大きかったり。なかなか・・思うように、期待通りには伸びることは少なかった。
本人は、レースで0.1秒でもベストが出ると、出せると喜んでいたように思う❢❢。
そんなん・・田村コーチにしたらごくごく「当たり前」のこと。お前は「そんなんで嬉しいん?」
なんて、ベスト出してても怒られることもしばしばあったりしたと思う。

水泳選手にとって一番大切だと思うものは・・・エーコは「闘争心」やと思ってる。
その気持ちが強ければ強いほど、妥協も少ないし、立ち向かおうとする「意欲」も強い。
それが‥なかなか持てない奴やった。おっとりとした性格から・・少しづつ変化はあったけど、。
その成長よりも、与えられるもの(練習や課題)の方がもっともっとデカくなってきて
何度も何度も「叱られ、挫折、凹み」があったように思う。

それでも・・・必死で続けて来た奴やった。
『継続は力なり』
その言葉を実践して、頑張ってこれた(後・・数週間あるけど)奴やったように思う。
そのやり遂げれた物が「根性」と言うのか、「成長」と言うのかは
もっともっと先になってみないと解らないと思う。けど、頑張ったよな❢❢❢❢

昨日、皆で「お別れ遠足」に行って来た。
木下大サーカスを見てからランチ、その後、カラオケ大会 の1日やった。
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下の選手からは『お兄ちゃん』として信頼され、頼りにされていた様子。
特に、田村コーチクラスでは下の面倒は、必ず上の者が見るのが必須。
また、下の者は上の人に対してきちんと接するのも当たり前のルール。
トライアクシスでのラストレースも再来週の日曜で、エーコも見れるようになったので
お兄ちゃんのカッコええラストの泳ぎをチビたちにも見せてやれよな~~と思っている。

卒業したら田村コーチの後輩となる「市尼崎」へと進む。
高校のクラブで揉まれて、競って『強い選手』になってくれることを願っている。