エーコ選手名鑑③「細田朋美」

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ピープルで初の「オリンピック選手」となった「細田朋美」中央
まだ、エーコは加古川で小学生や、中学生を指導してる1988年(28歳)「ソウルオリンピック」が開催された。
当時の女子自由形の日本記録を一気に更新した「ソウルオリンピック」の朋美や亜弥子(中野)の記録には
ビビりこけた記憶が・・・ 8分39秒(@_@;) 56秒(@_@;) 素晴らしい❤
女子でもそんな記録で泳げるんや??とただただ、驚きと・・・「どうしたらそんな記録出るんや?」と
少しは興味も持った。高地トレー二ング・・など全く知らないコーチやったしね。
そんな・・何の知識も持たない(多分・・まだ興味もない)コーチがその4年後にオリンピックに
選手を出すんやから・・人生なんて、何時、なんどき、どのように変わっていくか解らないよナ。
その・・大きな「きっかけ」となったのが この合宿やった。
ピープルが全国から選手を集めて行う「ピープルシニア合宿」に初めて参加した。
シニア合宿
女性のコーチはもちろんエーコだけやし、オリンピック選手の二人とは「仲良くなっておこう❢」と思った。

そこでド肝を抜くような渡辺コーチの練習を見た(@_@;) 1回の練習で何度もメイン練習があってさ・・
けど・・・もっとエーコが驚いたのが・・「細田朋美の練習の姿勢、態度」やった。
今までのエーコの指導のレベルとははるかに違う練習量、全く違う強度、全然へこたれない選手の姿勢・・・
あ~、これが「日本代表になるようなレベルなんや・・」と実感した。
けど・・まぁ、エーコの選手とは、レベルが違い過ぎるよナ・・なんて思う気持ちも(大きく)あった。

その合宿で、朋美に「今までで一番、記憶に残る練習って何??」と聞いた。朋美は・・昔ですけど・・
「100mx100t 1分30秒サークル で1~9本まではタイムよりも泳ぎ重視、10本目毎は1分10秒を切る」練習と言う。
その練習を中学1年生か?2年生に初めてやった。と・・聞いた。
そんなん・・何それ??やん。泳ぐ選手よりも‥やらせるコーチが大変や❢❢❢❢❢❢❢❢❢
と・・エーコの中では拒否✖✖ に近いものがあった。
けど・・・・
今から思うと、その合宿がエーコの大きな「ターニングポイント」となったのは確かだ。
そこでの朋美と亜弥子の練習する姿勢、生活の態度、泳いでる時の集中力・・
渡辺コーチの妥協を許さない練習、出来るまでやらせる練習、限界での頑張らせ方・・等を見て、
ただ怖いだけの、ビビらせるだけのガキンチョを教えてるエーコとの大きな違い、レベルの違いや格差を痛感した。

朋美とはその合宿以来、いろんな話をするようになってた。年齢も他の選手より上だったこともあり・・
試合の度にいろんな話をしたりしたと思う。1987年、ソウルオリンピック前年から800m自由形で4連覇して
1991年の日本選手権で、朋美は2位になって代表を逃した。あんなに頑張って練習して来たのに・・・
試合が終わってから渡辺コーチに「朋美を連れて、神戸に遊びに行きたい・・」と話した。
何か・・・このまま朋美を返したらダメになってしまうん違うか??なんて、変な気もちがあった。
エーコの家に泊めて、神戸の異人館やセンター街をフラフラして、何を話したかは覚えてない。けど・・・
なんか・・ほっとけなかってん。どこかで、何かの切り替えをさせてやらないと・・なんておこがましかった
かもしれんけど・・、なんか・・そう思えた。神戸の異人館前・・・かな。

朋美と神戸

そう、コーチは選手が調子良ければ、ベストも出て、勝ち続けてるときはええ。
けど、選手は選手である以上、、一生トップで君臨するようなことはない。どんな選手でも・・だ。
泳ぐ気持ちなんて、負けた悔しさなんて、選手自身が一番感じてるはず。
けど、もしかしたら選手自身の中で迷いながら、そうなるべくして出た結果や・・とホンマに悔しいけど
理解できるような、納得をするような場合もあったりする。
山あり、谷ありで悩みながら続けていくのが選手の成長やし、また、そうさせてやるのがコーチの仕事や。

朋美は・・エーコがコーチをする上で、一番影響を受けた、学ばせてくれた選手やったと思う。
何事にも一生懸命に向かう姿勢、努力を惜しまない気持ち・・など、、、
コーチからしたら「強くしてやるよ❢」「勝たせてやるぞ❢❢」と思わせてくれるような選手やったと思う。

今は・・何をしてるか?やけど、一生懸命に何かに取り組んでいるような「人生」を送ってる・・やろな。
元気かな??・・・会ってみたいなぁ~~~😊