EIKO ROUNGE
エイコラウンジ
エーコ選手名鑑⑪「三田真希」その②
『オリンピックに行きたいんです❢❢』
そう言って、大学を休んでまでも、ただ、オリンピックに行くためだけに戻って来た選手がいる。
真希は中学3年の途中から・・高校3年まで実家を離れて、寮生活での水泳をしていた。
高校2年生でサチコと一緒にシドニーオリンピックへ行き、
翌年もナショナルチームには入り、大学は実家から通う「早稲田」へ進んだ。
そうやねん❢❢
ここで「田村塾」は卒業して行ってん。エーコは卒業していく選手は「残ってよ・・。残り・・」とは
言わない。なぜなら、うちのチームでは目一杯やってる、やらせてるんやからそこは自分で決めれば良い。
引き留めて・・一緒にやろうよ・・とは今まで選手には言ったことがないように思う。
真希も、自分の選択で「早稲田」=卒業を選んでいった。
翌年から持病の腰痛も出てきたり、環境の変化と共に思うような泳ぎや成績は残せていなかった。
うちのチームから卒業して行った者としての周りの視線は・・「三田はもう終わった」やったと思う。
エーコも真希を見てて「精鋭はもうない」昔の「何事にも面と向かって突進してくるような三田ではなくなった」
なんて、思ってた。
そんな中、最後ぐらい兵庫県の為に「国体」でも泳げよ・・・と言うことになった(そのいきさつは忘れた❢)
その国体で、久しぶりに表彰台に上がり・・その時にエーコが「お前・・まだいけるやん❢」と言った(らしい・・)
その国体後、真希から「会いたい」と連絡があり、品川で会うことになった。来年が4回生なので・・・
就職の相談やろな・・なんて思ってたんやけど・・・
『もう一度オリンピックに行きたいんです。コーチの下に戻りたい』と。
「何で???」➡エーコが質問??
『一生、後悔はしたくないので・・』と言う。
何を言ってるんや・・こいつは??と、正直思った。
オリンピックは4年に1度やから、その「星運」に恵まれてた選手を今までたくさん見て来た。
緒方茂生、倉澤利彰、田淵晋・・・オリンピックには複数回行ってるけど、その他の試合の記憶は薄い。
けど、その3人は男子スイマーやん。女子の一回、終わってる(ような・・)選手がどないやねん・・
と正直・・思っていた。そこで、条件を出した。
「来年、ナショナルチームに入れなければ水泳を辞めなさい」と。
腰の故障や、長い間のブランクや・・また、チームに戻ると行っても、、もちろん練習にはまったく付いて行けず
大学を休んでる分、遊ばせる気もないので「アルバイト」もやらせながらの選手として復活を目指した。
元気な身体ならば、何の苦労もない。けど、、腰に「爆弾」を抱えてのトレーニング、練習は相当きつかったと思う。
けど、真希は絶対に「休む」とか「つらい」とかは一切言わなかった。
人一倍の「努力」の出来る選手。
決めたことをとことん「やり抜く」ことの出来る選手。
自分自身に「妥協」をすることのない選手。
翌年、日本選手権200m自由形で優勝して「ナショナルチーム」入りを果たした。
来年が「オリンピックイヤーやぞ❢」で、なんとか行けそうやな・・に、なったのに・・・
神様は「意地悪」をした。腰痛が酷く、治らない。普通の薬では効かない。
そんな状態が選考会前の1年で、騙し騙しの練習をしてる、させてるのにも、とても「不安」な日々が続いた。
なんで、、戻したんやろう・・・諦めさせとけば良かった・・とか、
これ以上泳がせたら将来・・身体が無茶苦茶になるん違うか??なんて、思うようなこともあった。
そんな時‥「ステロイドを使いたいんです!!」と三田が言って来た。
もちろん「許可など出来ない」
唯一の方法があるとすれば、ドーピングでない、医療使用として許可の申請をFINAに上げること。
その「申請」と言うのは・・英文で何ページにもなるような「申請書」を医者が書くことになる。
が・・・そこで「神様は微笑んだ」のかな。
真希の担当の女医さんは、昔、水泳をしていた人らしく、田村コーチが大好き?だったそう。
その人がその英文での申請書を作成してくれて・・FINAから真希への「ステロイド使用」の許可が出て
そんな治療をしながら・・・2008年の北京オリンピックを前に頑張ることになった。
2007年12月31日大晦日の「ラスベガス」で❢❢
高地トレーニングから1日の休暇で「ラスベガス」に行った。この時「絶対に北京に行く❢❢」
そう言っていた。
迎えた選考会の決勝レースの前「腰が潰れても2分は切る」そう言ってレースに向かって行った真希。
その表情はまさしく「侍」 戦い前の凄い顔をしていたのを覚えている。
選考会では個人でのオリンピック出場は出来なかったけど、なんとかリレーで念願の「オリンピック」を決めた。
選手として頑張ることの出来る奴には・・やはり、神様が付いているんや・・そう思った。
トレーニングで頑張らせることも確かに大切なことやけど・・・それ以上に
「やりたい気持ち」
「行きたい気持ち」
に対してどれぐらい答えてやることが出来るか?どれぐらい全ての環境を整えてやることが出来るか??
そんなことぐらいしか、、コーチには出来ひんねんねんなぁ~なんて、思えた、思わせてくれた選手やった。
真希のオリンピックでの4x200mリレーの決勝の4泳スタート
エーコは「オリンピック選手を出したい」と思って、それを切望してコーチになった訳ではなかった。
たまたま(なんて言うてたら怒られる!?)オリンピックに関わるような「機会」に恵まれて、
「オリンピック」という物をテレビの画面ではなく、実体験として携わってた数年間。
やはり・・・選手は凄かった❢❢ と、素直に思える。
どんな無茶なことを言っても、手探りで前に前に進んでたような時でも選手は強かった❢❢
真希なんて「メチャクチャ男前」な選手で、あの根性には「恰幅」する。
WBCの野球の監督と、水泳のコーチはちょっと違うと思う。
サッカーの監督と、少し水泳のコーチもちょっと違うと思う。
けど、、選手を信じるということは、コーチとして「共通」のことやな‥とは思えた。
それが一番強い「絆」になるんやからな❢❢❢